法隆寺お身ぬぐい2024/12/8(日程時間・・・)

法隆寺お身ぬぐい

法隆寺お身ぬぐい(日程・・・)を紹介しています。お身ぬぐいは例年12月8日に行われています。お身ぬぐいでは新年に備えて、金堂(国宝)などに安置されている金銅釈迦三尊像などの諸仏を拭い清めます。お身ぬぐいでは読経後にマスクを着けた僧侶が和紙のはたき・小さなはけを使って仏像に積もった1年間の塵やホコリを払います。(詳細下記参照)

【法隆寺お身ぬぐい2024 日程時間(要確認)】
法隆寺お身ぬぐい2024は2024年(令和6年)12月8日(日曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ

【法隆寺お身ぬぐい アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線

*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック

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【法隆寺お身ぬぐい 歴史・簡単概要】
法隆寺お身ぬぐい(おみぬぐい)は法隆寺が世界遺産に登録された1993年(平成5年)から行われています。お身ぬぐいでは新年に備えて、金堂(国宝)などに安置されている金銅釈迦三尊像などの諸仏を拭い清めます。
お身ぬぐいでは先ず僧侶が般若心経を唱え、その後マスクを着けた僧侶が和紙のはたき・小さなはけを使って仏像に積もった1年間の塵やホコリを払います。
金堂(国宝)は607年(推古天皇15年)の創建時に建立されたが、670年(天智9年)に焼失し、その後7世紀後半の飛鳥時代に再建されたと言われています。2004年(平成16年)の奈良文化財研究所による年輪年代測定により、金堂などに使われているヒノキやスギは650年代末から690年代末に伐採されたことが分かったそうです。
金銅釈迦三尊像(国宝)は金堂の中の間に安置され、聖徳太子の為に造仏されたとも言われています。金銅薬師如来座像(国宝)は金堂の東の間に安置され、聖徳太子の父で、第31代・用明天皇の為に造仏されたとも言われています。金銅阿弥陀如来座像(重要文化財)は金堂の西の間に安置され、聖徳太子の母・穴穂部間人皇后(穴穂部間人皇女)の為に造仏されたとも言われています。ちなみに金銅釈迦三尊像は飛鳥時代の623年(推古天皇31年)に仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)が造仏し、金銅薬師如来座像は飛鳥時代に造仏され、金銅阿弥陀如来座像は鎌倉時代に仏師・康勝(こうしょう)が造仏したとも言われています。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【法隆寺お身ぬぐい 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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