依水園ひなまつり2025/2/(日程時間・・・)
依水園ひなまつり
依水園ひなまつり(日程・・・)を紹介しています。ひなまつりは例年2月上旬頃~3月上旬頃に行われています。ひなまつりでは100年以上経過しても美しく残っている曲水の宴(きょくすいのうたげ)を再現した平飾りの雛人形(ひなにんぎょう)・稚児雛とも言われる子どもの姿をした雛人形の五段飾りが主屋内で公開されます。(詳細下記参照)
【依水園ひなまつり2024 日程時間(要確認)】
依水園ひなまつり2024は2024年(令和6年)2月7日(水曜日)~3月3日(日曜日)9:30~16:30に行われます。(受付16:00終了)(現在確認中・要注意)
*参考・・・依水園ホームページ
【依水園ひなまつり アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市水門町74
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩4分)
路線・時刻表・運賃チェック
【依水園ひなまつり 歴史・簡単概要】
依水園ひなまつりは例年2月上旬頃~3月上旬頃に行われています。
ひなまつりでは100年以上経過しても美しく残っている曲水の宴(きょくすいのうたげ)を再現した平飾りの雛人形(ひなにんぎょう)・稚児雛(ちごびな)とも言われる子どもの姿をした雛人形の五段飾りが主屋内で公開されます。曲水の宴では川の上流から流れてくる盃が通り過ぎるまでに歌題に因んだ和歌を詠んで短冊に記し、盃のお酒を飲んで次へ流す風流な遊びです。
ひな祭り(雛祭り)はかつて上巳(じょうし・じょうみ)の節句である旧暦の3月3日(新暦の4月頃)に行われていたが、1873年(明治6年)の新暦移行に伴って、現在のように3月3日に行なうようになりました。上巳の節句は桃の花が咲く季節だったことから桃の節句とも言われました。なお上巳の節句では元来川で身を浄め、紙などで作った人形(ひとがた)で身体を撫でたり、息を吹き掛けたりして、人形に罪穢(つみけがれ)を移して、水に流すというお祓いの行事が行われていました。その後人形を川に流して、厄災を祓う流し雛(ながしびな)の風習に変わったと言われています。
ひな人形は平安時代に小さな紙人形を使ったままごと遊び・ひいな遊びが起源とも、平安時代に人形(ひとがた)に罪・穢れを移して川に流した流し雛が起源とも言われています。なお江戸時代中期にひな人形を壇に飾る形式が生まれたとも言われています。
曲水の宴は中国・周公の時代に始まり、353年(永和9年)には政治家で、書家・王羲之(おうぎし)が修禊(しうけい)の儀式として行ったことが「蘭亭序(らんていじょ)」に記されているそうです。その後中国から日本に伝わり、485年(顕宗天皇元年)には顕宗天皇(けんぞうてんのう)の前で行われたと「日本書紀」に記されているそうです。奈良時代から平安時代中期までは宮中の年中行事として行われていたが、その後途絶えたそうです。
【依水園 歴史・簡単概要】
依水園(いすいえん)は奈良県奈良市にある面積約3,400坪(約11,000平方メートル)の日本庭園・池泉回遊式庭園です。依水園は庭園入口のすぐ右手に広がる前園と後園に分かれています。前園は延宝年間(1673年~1681年)に奈良晒(ならざらし)を商う御用商人・清須美道清(きよすみみちきよ)が煎茶を愉しむ為、吉城川(よしきがわ)近くに別邸として三秀亭(さんしゅうてい)を移築し、挺秀軒(ていしゅうけん)を建て、若草山(わかくさやま)・春日山(かすがやま)・御蓋山(みかさやま)などを望む庭園を造ったのが始まりです。後園は明治時代に奈良市内屈指の実業家・関藤次郎(せきとうじろう)が茶の湯と詩歌の会を愉しむ為、裏千家12世・又妙斎宗室(ゆうみょうさいそうしつ)が作庭した築山式の池泉回遊式庭園です。その後1939年(昭和14年)に中村家によって買い取られ、前園と後園を合わせて整備され、1969年(昭和44年)に中村家所蔵の美術品を展示する為に寧楽美術館が建設されました。ちなみに依水園には三秀亭・挺秀軒以外にも氷心亭(ひょうしんてい)・清秀庵(せいしゅうあん)・柳生堂(やぎゅうどう)などもあります。なお依水園は国の名勝に指定されています。
*参考・・・依水園(アクセス・見どころ・・・)ホームページ・依水園(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【依水園ひなまつり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
依水園(アクセス・見どころ・・・)情報