興福寺の桜見ごろ2025(時期:3月下旬~4月下旬頃)
興福寺の桜見ごろ・アクセス・概要
興福寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。興福寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月下旬頃です。興福寺では三条通から南円堂に続く参道・南大門跡の般若の芝・西金堂跡・三重塔周辺などに染井吉野・遅咲きの八重桜・枝垂桜などが植えられ、桜と五重塔・三重塔・中金堂・北円堂・南円堂などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【興福寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
興福寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月下旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025
【興福寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック
【興福寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
興福寺はあまり知られていない桜の名所です。興福寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月下旬頃です。
興福寺では三条通(さんじょうどおり)から南円堂に続く参道・南大門跡の般若の芝・西金堂跡・三重塔周辺などに染井吉野(ソメイヨシノ)・遅咲きの八重桜(ヤエザクラ)・枝垂桜(シダレザクラ)などが植えられ、桜と高さ約50.1メートルの五重塔(国宝)・三重塔(国宝)・中金堂・北円堂(国宝)・南円堂(重要文化財)などの光景が美しいと言われています。興福寺では堂塔を巡りながらお花見を楽しむのがおすすめです。
●五重塔は730年(天平2年)に藤原不比等の娘で、第45代・聖武天皇の皇后である光明皇后が建立したが、その後5度被災し、1426年(応永33年)頃に再建されました。五重塔は初層の須弥壇四方に薬師三尊像・釈迦三尊像・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像を安置しています。
●三重塔は1143年(康治2年)に第75代・崇徳天皇の中宮・皇嘉門院が建立したが、その後1180年(治承4年)に被災し、鎌倉時代前期に再建されたと言われています。三重塔は弁才天坐像を安置しています。
●中金堂は710年(和銅3年)に建立されたが、1046年(永承元年)から7度焼失し、その後6度再建され、1819年(文政2年)に仮金堂が建立されたが、2000年(平成12年)に解体されました。中金堂は2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われました。中金堂は本尊・釈迦如来像などを安置しています。
●北円堂は721年(養老5年)に第44代・元正天皇と元明上皇(第43代・元明天皇)が藤原不比等の一周忌に長屋王に命じて建立したが、その後1180年(治承4年)に焼失し、1210年(承元4年)頃に再建されました。北円堂は本尊・弥勒如来像(国宝)などを安置しています。
●南円堂は813年(弘仁4年)に藤原冬嗣が父・藤原内麻呂の冥福を願って建立したが、1741年(寛保元年)に立柱され、1789年(寛政元年)に再建されました。南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩像(国宝)を安置しています。
興福寺見どころ
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足の妻・鏡大王が夫の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、延暦寺とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院・大乗院など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代に興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【興福寺桜 備考】
興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報