高取城跡の桜見ごろ2025(時期:4月上旬~中旬頃)
高取城跡の桜見ごろ・アクセス・概要
高取城跡の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。高取城跡では大手門跡を通過して二の丸・本丸方面に行くと染井吉野などが植えられ、桜と石垣・東屋などの光景が美しいと言われています。東屋で休憩しながらお花見を楽しむことができます。本丸からは高い位置からお花見を楽しむこともできます。(詳細下記参照)
【高取城跡の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
高取城跡の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025
【高取城跡桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県高市郡高取町高取
最寄り駅・バス停・・・壷阪寺前(徒歩約50分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄吉野線・壺阪山駅から奈良交通バス・壷阪寺前行き
路線・時刻表・運賃チェック
【高取城跡の桜見ごろ(例年時期) 概要】
高取城跡は奈良の桜の名所です。高取城跡の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。
高取城跡では大手門跡(御城門跡)を通過して二の丸・本丸方面に行くと染井吉野(ソメイヨシノ)などが植えられ、桜と石垣・東屋などの光景が美しいと言われています。東屋で休憩しながらお花見を楽しむことができます。本丸からは高い位置からお花見を楽しむこともできます。ちなみに高取城跡は標高約583メートルの高取山山頂に築城され、大和三山とも言われる標高約152メートルの天香久山(あまのかぐやま)・標高約199メートルの畝傍山(うねびやま)・標高約140メートルの耳成山(みみなしやま)や奈良盆地、そして標高約1,915メートルの八経ヶ岳(はっきょうがたけ)を最高峰とする大峰山脈(おおみねさんみゃく)などを一望することができます。なお札の辻南東角の高取児童公園には高取城の松ノ門が部分的に復元され桜も植えられています。ただ麓から本丸までは高低差が約390メートルあり、開花時期が少し異なります。
本丸は東西約75メートル・南北約60メートルで、天守・小天守・硝煙御櫓・具足櫓・鉛御櫓などがあったとも言われています。二の丸は東西約65メートル・南北約60メートルで、十三間多門・西江角櫓・火之見櫓・客人櫓・御風呂屋・二の丸御殿などがあったとも言われています。
桜(染井吉野)は2月1日以降の最高気温(毎日)の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。また地域によって若干差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になるとも言われています。なお奈良では奈良地方気象台の移転により、現在奈良女子大付属中等教育学校の染井吉野が標準木とされ、5~6輪以上咲くと開花宣言が出されます。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【高取城跡 歴史・簡単概要】
高取城跡(たかとりじょうあと)・高取山城は南北朝時代の1332年(元弘2年・正慶元年)に大和高市一帯を治める豪族で、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)が標高約583メートルの高取山山頂に築城したのが起源と言われています。高取城は当初自然の地形に多少の工作を加えた小規模な城郭で、越智氏の本城・貝吹山城(かいぶきやまじょう)の支城でした。戦国時代に高取城が越智氏の本城になったが、織田信長が大和国内の城を郡山城一城と定めらると1580年(天正8年)に廃城になりました。1582年(天正10年)の本能寺の変で織田信長が亡くなると大和郡山城主・筒井順慶(つついじゅんけい)が郡山城の詰の城として本格的に城郭を築き、桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の異父弟で、郡山城主・豊臣秀長(とよとみひでなが)が新しい縄張によって築城したと言われています。1873年(明治6年)に廃城になり、建物の大部分が近隣の寺院などに売却されたが、1887年(明治20年)頃まで天守などの主要建造物は残されていたそうです。その後管理されずに自然倒壊したとも言われています。なお高取城はかつて天守や櫓が29棟立ち並び、「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」とも謡われました。高取城跡は国の史跡に指定されています。
*参考・・・高取城跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【高取城跡桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
高取城跡(アクセス・見どころ・・・)情報