九品寺彼岸花見ごろ2024(9月中旬~9月下旬頃)
九品寺彼岸花見ごろ(見頃)
九品寺彼岸花見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。九品寺では周辺に田園風景が広がり、田んぼの畦や土手などに彼岸花が分布し、赤い花を咲かせます。彼岸花・田園風景・標高約959.2メートルの大和葛城山などの光景が美しいと言われています。九品寺周辺にはコスモスも分布し、彼岸花とコスモスを一緒に楽しめる場合があります。(詳細下記参照)
●●●2023年から九品寺の護持や近隣の迷惑対策などにより、彼岸花のお花見や写真撮影は禁止になるそうです。(立ち入り禁止)●●●
【九品寺彼岸花見ごろ(例年時期)】
九品寺の彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。ただ彼岸花の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
【九品寺彼岸花見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県御所市楢原1188
最寄り駅・バス停・・・猿目橋(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄御所駅からバス・葛城ロープウェイ前行き
路線・時刻表・運賃チェック
【九品寺彼岸花見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
九品寺は彼岸花(ヒガンバナ)の名所です。九品寺の彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
九品寺では周辺に田園風景が広がり、田んぼの畦や土手などに彼岸花が分布し、赤い花を咲かせます。九品寺から南側に建立されている葛城一言主神社までの約1.5キロ(徒歩約20分)に多くの彼岸花が分布し、散策するのもおすすめです。彼岸花・田園風景・標高約959.2メートルの大和葛城山などの光景が美しいと言われています。九品寺周辺にはコスモスも分布し、彼岸花とコスモスを一緒に楽しめる場合があります。なお九品寺と葛城一言主神社は葛城古道が結んでいます。
葛城古道は大和平野の東側を走る山の辺の道に相対するように葛城連山の山麓を走っています。葛城古道には六地蔵石仏・九品寺・高丘宮跡の碑・葛城一言主神社・極楽寺(御所市)・橋本院・高天彦神社・高鴨神社などがあります。
彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ・マンジュシャカ)、学名からリコリス・ラジアータとも言われています。また彼岸花は死人花(しびとばな)・葬式花(そうしきばな)・墓花(はかばな)・地獄花(じごくばな)・蛇花(へびのはな)・狐花(きつねばな)・捨て子花(すてごばな)・火事花(かじばな)・灯籠花(とうろうばな)・石蒜(せきさん)・天蓋花(てんがいばな)・天涯花・幽霊花(ゆうれいばな)・剃刀花(かみそりばな)などとも言われています。彼岸花は中国大陸原産で、古くに日本に伝わり、日本各地の土手・堤防・畦・墓地などの人家近くに分布しています。彼岸花は秋の彼岸頃に高さ30~50センチの花茎(かけい)を鱗茎(りんけい)から伸ばし、茎頂(けいちょう)に長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状に咲かせます。彼岸花は花が咲いた後に鱗茎から線形の厚い葉を叢生(そうせい)します。彼岸花は花と葉を同時に見られないことから葉見ず花見ず(はみずはなみず)も言われています。
コスモスはキク科コスモス属の春まき一年草の植物です。コスモスは熱帯アメリカ(メキシコ)原産で、1789年にメキシコからスペインのマドリード王立植物園に送られ、1791年にアントニオ・ホセ・カヴァニレスがコスモス(Cosmos)と名付け、1887年(明治20年)頃に美術学校教師・ラグザーがイタリアから日本に伝えたと言われています。コスモスは高さ1~2メートルで、花は茎の上部から出た枝の先端に径4~8センチの頭状花がつき、頭状花周辺に8個の舌状花が大きく開きます。
葛城一言主神社は社伝によると5世紀後半に第21代・雄略天皇(幼武尊)が葛城山で狩りをしていた際、一言主神が顕現した場所と言われています。一言主神は雄略天皇と同じ姿で顕現し、天皇が一言主神であることを知り、大御刀・弓矢・百官の衣服を奉献したと言われています。
葛城一言主神社(アクセス・見どころ・・・)情報
【九品寺 歴史・簡単概要】
九品寺(くほんじ)・戒那山(かいなさん)は寺伝によると奈良時代に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の詔(みことのり)によって創建したとも言われています。九品寺は804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、806年(大同元年)に帰国した真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が行基菩薩の遺徳を偲んで、多くの寺院を建立した戒那千坊(かいなせんぼう)の一院に数えられたそうです。南北朝時代(1337年(延元元年・建武3年)~1392年(元中9年・明徳3年))にこの地を支配していた葛上党の棟梁・楢原(ならはら)氏が南朝方として参戦し、北朝側と戦った際にこの地の人々が味方の身代わりとして千体石仏を奉納したとも言われ、千体石仏は身代わり石仏とも言われています。ちなみに九品寺西側には楢原氏が葛城山の支尾根中腹に築城した楢原城(奥城・中城・前城)の中城跡が残されています。戦国時代(室町時代後期)の1558年(永禄元年)に観誉弘誓(かんよぐぜい)が浄土宗(じょうどしゅう)に改宗しました。なお九品寺は平安時代後期に造仏された木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)を本尊として安置しています。
*参考・・・九品寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【九品寺彼岸花見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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