漢国神社鎮華・三枝祭2025年6月17日(日程時間・・・)

漢国神社鎮華・三枝祭

漢国神社鎮華・三枝祭(日程・・・)を紹介しています。鎮華・三枝祭は例年6月17日に行われています。鎮華・三枝祭では平安時代を起源とする清和四條流一門による式庖丁(庖丁儀式)が奉納されます。式庖丁は古式に則り、一切手を触れることなく、真魚箸と庖丁だけを使って魚を巧みに捌きます。(詳細下記参照)

【漢国神社鎮華・三枝祭2025 日程時間(要確認)】
漢国神社鎮華・三枝祭2025は2025年(令和7年)6月17日(火曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・漢国神社ホームページ

【漢国神社鎮華・三枝祭 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市漢国町6
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約2分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR関西線・奈良駅(徒歩約7分)

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【漢国神社鎮華・三枝祭 歴史・簡単概要】
漢国神社鎮華(はなしずめ)・三枝祭(さきくさのまつり)は秋の例大祭に次ぐ重要な神事です。例年6月5日に行っている鎮華・菖蒲祭とともに疫病が流行するとされる旧暦の5月に行われています。なお鎮華・三枝祭は例年6月17日に行われています。
鎮華・三枝祭では神前にササユリ(笹百合)の花を供え、悪疫退散・五穀豊穣・産業の発展などを祈願します。鎮華・三枝祭では平安時代を起源とする清和四條流一門による式庖丁(しきぼうちょう・庖丁儀式)が奉納されます。式庖丁は古式に則り、一切手を触れることなく、真魚箸(まなばし)と庖丁だけを使って魚を巧みに捌きます。美しく盛り付けされた魚はササユリを供えて神前に供えられます。庖丁儀式は平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわてんのう)の時代、貞観年間(859年~876年)に宮中の諸儀式の作法を定めた饗応饗膳の式作法とともに供食作法のひとつとして定められました。
式庖丁(式庖丁)は魚などの食材を穢れ(けがれ)の元になる手を一切触れず、包丁刀と真魚箸だけを使って調理し、おめでたい形を表す瑞祥に盛り付けます。四條流は平安時代の公卿(くぎょう)で、九条家(くじょうけ)の祖・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が創始したと言われています。
ササユリはユリ科ユリ属の多年草・球根草です。ササユリは日本原産で、本州中部以西の山地に自生しいます。地域によってヤマユリ(山百合)とも言われています。ササユリは高さ50センチ~1メートルで、葉は長さ8~15センチの短柄をもつ披針形(ひしんけい)です。ササユリは茎頂に径約10センチの漏斗状の花を1~6個横向きに咲かせます。花は淡紅色・白色、雄蕊の葯 (やく) は濃い赤褐色で、香りのよい芳香があります。なおササユリは地下に径3~5センチの球状で、白い鱗茎があり、茎に紫色の斑点があります。

【漢国神社 歴史・簡単概要】
漢国神社(かんごうじんじゃ)・漢國神社は飛鳥時代前期の593年(推古天皇元年)に大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命により、園神(そのかみ)の神霊を祀ったのが起源とも言われています。その後奈良時代前期の717年(養老元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)が韓神(からかみ)二座を相殿に祀ったと言われています。漢国神社はかつて春日率川坂岡神社とも、園韓神社とも言われていたが、韓神の「韓」が「漢」、園神の「園」が「国(國)」となり、漢国神社になったと言われています。平安時代前期の859年(貞観元年)に祭神が平安城宮内省に勧請され、皇室の守護神になったとも言われています。平安時代末期の1180年(治承4年)に兵火に見舞われ、1188年(文治4年)に興福寺(こうふくじ)・一乗院(いちじょういん)僧・覚昭(かくしょう)の奏聞(そうもん)により、率川・坂岡両所が再建されました。その後江戸時代前期の1614年(慶長19年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が木津の戦い(大坂冬の陣)に破れて落忍し、鎧一式を奉納したと言われています。その後鎧蔵が造営され、将軍家から年々使者が派遣されるようになりました。なお漢国神社は園神に大物主命(おおものぬしのかみ)、韓神に大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。
*参考・・・漢国神社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【漢国神社鎮華・三枝祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
漢国神社(アクセス・見どころ・・・)情報

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