世尊寺サルスベリ見ごろ2025(7月上旬~9月中旬頃)
世尊寺サルスベリ見ごろ(見頃)
世尊寺サルスベリ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。世尊寺では境内に樹齢100年を越えるとも言われる樹高約15メートのルサルスベリの古木が植えられ、純白の可憐な花を咲かせるサルスベリと境内・中門(二の門)などの光景が美しいと言われています。世尊寺のルサルスベリは珍しいシロサルスベリです。(詳細下記参照)
【世尊寺サルスベリ見ごろ(例年時期)】
世尊寺のサルスベリ見ごろは例年7月上旬頃から9月中旬頃です。ただサルスベリの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
【世尊寺サルスベリ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県吉野郡大淀町比曽762
最寄り駅・バス停・・・比曽口(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄吉野線・六田駅から奈良交通バス
路線・時刻表・運賃チェック
【世尊寺サルスベリ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
世尊寺は奈良を代表するサルスベリの名所です。世尊寺のサルスベリ見ごろは例年7月上旬頃から9月中旬頃です。
世尊寺では境内に樹齢100年を越えるとも言われる樹高約15メートのルサルスベリ(百日紅)の古木が植えられ、純白の可憐な花を咲かせるサルスベリと境内・中門(二の門)などの光景が美しいと言われています。ただ樹高が高く、間近では見られません。世尊寺のルサルスベリは一般的に紅色の可憐な花を咲かせるサルスベリと異なる珍しいシロサルスベリです。ちなみに世尊寺は花の寺として知られ、春に桜・ツツジ・オオヤマレンゲ、秋に彼岸花を楽しむこともできます。なお世尊寺には本堂・太子堂(奈良県指定有形文化財)などが建立されているだけでなく、金堂跡・東塔跡・西塔跡などもあり、歴史を感じながら散策するのがおすすめです。
サルスベリ(百日紅・猿滑・紫薇)はミソハギ科の落葉中高木です。サルスベリは中国南部原産で、唐(中国)の時代(618年~907年)に長安の紫微(宮廷)に多く植えられ、紫薇と言われていたそうです。日本には江戸時代以前に伝わっていたとも言われ、江戸時代中期に本草学者・貝原益軒(かいばらえきけん)が記した「花譜(かふ)・1694年(元禄7年)」に初めてその名前が記されています。サルスベリは樹高5~10メートルで、樹皮が赤褐色で、滑らかで薄くはげ、跡が白く雲紋状になります。サルが滑り落ちるほど滑らかという例えからサルスベリと名付けらました。サルスベリは7~9月に枝先の円錐花序(えんすいかじょ)に径3~4センチの紅紫色の6弁の花を咲かせます。サルスベリには花が白色のシロサルスベリ、淡紫色のウスムラサキサルスベリもあります。
中門(二の門)は江戸時代中期の享保年間(1716年~1736年)に建立されました。
【世尊寺 歴史・簡単概要】
世尊寺(せそんじ)は第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が父・用明天皇の勅によって創建した吉野寺が起源とも言われています。吉野寺は聖徳太子建立四六寺院のひとつで、法興寺(ほうこうじ)・大阪四天王寺(してんのうじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)とともに聖徳太子建立四大寺院に数えらたそうです。世尊寺は聖徳太子霊跡の第7番札所です。ちなみに世尊寺の本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)は日本最古の正史「日本書紀」によると日本最初の仏像とも言われているそうです。平安時代に宇多上皇(第59代・宇多天皇(うだてんのう))などが吉野参詣した際に世尊寺にも参詣して栄えたが、その後は衰退しました。1279年(弘安2年)に春豪聖人が金峰山から入寺して再興し、1337年(延元2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が行幸して勅願寺になり、栗天奉寺と命名されました。しかしその後荒廃し、江戸時代中期に雲門即道禅師が再興し、名称を世尊寺、宗派を曹洞宗に改めました。なお世尊寺は名称を吉野寺・比曽寺・現光寺・栗天奉寺と改めてきました。ちなみに現光寺の名称は本尊・阿弥陀如来座像と十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)立像が光を放っていたことに由来しているそうです。
世尊寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・世尊寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【世尊寺サルスベリ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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