内山永久寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
内山永久寺跡
内山永久寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。内山永久寺跡に建立されていた内山永久寺は江戸時代に大和国(奈良)内で東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)に次ぐ待遇を受け、その規模の大きさや伽藍の壮麗さから「西の日光」とも言われていました。
【内山永久寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市杣之内町
最寄り駅・バス停・・・勾田(徒歩約25分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄天理線天理駅から奈良交通バス・桜井駅行き
*JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄天理線天理駅(徒歩約35分)
路線・時刻表・運賃チェック
【内山永久寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【内山永久寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【内山永久寺跡 歴史・簡単概要】
内山永久寺跡(うちやまえいきゅうじあと)は奈良県天理市杣之内町にあります。内山永久寺は「永久寺置文(東京国立博物館蔵)」・菅家本「諸寺縁起集」によると平安時代後期の永久年間(1113年~1118年)または1114年(永久2年)に興福寺(こうふくじ)の塔頭・大乗院(だいじょういん)第2世・頼実が第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)の勅願によって創建し、第3世・尋範が引き継いで伽藍を整備したとも言われています。また「大乗院寺社雑事記」の康正3年(1457年)4月29日条によると平安時代後期に頼実・尋範が創建し、頼実の営んだ山荘が尋範に引き継がれたも言われています。内山永久寺は年号から永久寺と称され、寺域に五鈷杵(ごこしよ)の形をした山が一つあったことから内山永久寺と言われるようになりました。1136年(保延2年)に真言堂、1137年(保延3年)に八角多宝塔が建立され、吉祥堂・観音堂・常存院・御影堂・経蔵・鐘楼・温室(浴室)・四所明神社・玉賀喜社などの堂宇があったと言われています。鎌倉時代に五町四方の山内に坊舎52、堂宇20があったとも言われています。「太平記」によると南北朝時代の1336年(延元元年・建武3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が一時身を隠したとも言われています。室町時代に興福寺と大乗院の権威を背景に絶大なる勢力を誇り、戦国時代(室町時代後期)の1585年(天正13年)に56の坊・院がありました。桃山時代の1595年(文禄4年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から971石の寺領を与えられました。江戸時代に法相宗(ほっそうしゅう)の大本山・興福寺(こうふくじ)から離れ、真言宗(しんごんしゅ)に改められたと言われています。1868年(明治元年)に神仏分離令が出されると寺領を没収されて廃寺になり、僧侶が還俗して石上神宮(いそのかみじんぐう)の神官になり、伽藍の多くが取り壊され、寺宝が失われました。内山永久寺は阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊として祀っていました。
*参考・・・内山永久寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【内山永久寺跡 見どころ・文化財】
内山永久寺跡の見どころは桜です。池の堤に約20本の桜が植えられています。池畔には芭蕉の句碑「うち山や とざましらずの 花ざかり」が建てられています。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【内山永久寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)
【内山永久寺跡 おすすめ散策ルート】
内山永久寺跡では北側にある石上神宮を散策するのがおすすめです。また西側にある都祁山口神社・厳島神社を散策するのもいいかもしれません。
【内山永久寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。