長谷寺牡丹見ごろ2024(4月下旬~5月上旬頃)
長谷寺牡丹見ごろ(見頃)
長谷寺牡丹見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。長谷寺には仁王門から本堂に通じる登廊周辺に約150種・約7,000株の牡丹が咲き、牡丹と登廊など光景が美しいと言われています。長谷寺では牡丹が見ごろを迎える時期にぼたんまつりが催され、ぼたん献花祭・ぼたん茶会などのイベントが行われています。(要確認)(詳細下記参照)
【長谷寺牡丹見ごろ(例年時期)】
長谷寺の牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。ただ牡丹の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良牡丹名所・見ごろ
●長谷寺instagramで牡丹状況をチェック。
長谷寺instagram(インスタグラム)
【長谷寺牡丹見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市初瀬731-1
最寄り駅・バス停・・・長谷寺駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄大阪線
路線・時刻表・運賃チェック
【長谷寺牡丹見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
長谷寺は奈良を代表する牡丹の名所です。長谷寺の牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。なお長谷寺は寺伝によると今から1,100年ほど前に唐(中国)第21代皇帝・僖宗(きそう)の第四の后・馬頭夫人(めずぶにん)が遠く海を越えて長谷寺の本尊・十一観世音に願いを込めて祈願し、その願いが叶った御礼に十種の宝物に牡丹を添えて献上したのが牡丹の起源とも言われています。長谷寺は「長谷のぼたん」・「ぼたんの長谷寺」とも言われています。
長谷寺には仁王門から本堂に通じる登廊周辺に約150種・約7,000株の牡丹が咲き、牡丹と登廊など光景が美しいと言われています。長谷寺では牡丹が見ごろを迎える時期にぼたんまつりが催され、ぼたん献花祭・ぼたん茶会などのイベントが行われています。(要確認)ちなみに長谷寺では馬頭夫人の伝承に因んで、牡丹献木運動が行われています。なお長谷寺では例年12月上旬頃から1月下旬頃に寒牡丹が見ごろを迎えます。
登廊は下登廊・中登廊・上登廊に分かれ、下登廊と中登廊を繋屋、中登廊と上登廊を蔵王堂が繋いでいます。登廊は1039年(長歴3年)に春日大社の社司・中臣信清が子供の病気平癒のお礼に建立したが、その後近世以降に再建されました。ただ下登廊・繋屋・中登廊は1882年(明治15年)に焼失し、1894年(明治27年)に再建されました。
牡丹はボタン科ボタン属の落葉小低木です。牡丹は中国西北部が原産地で、古くに日本に伝わり、観賞用として庭に植えられています。牡丹は原種が樹高約3メートルだが、園芸品種は樹高約1~2メートルです。牡丹は葉が大きくて羽状複葉で、花びらが5~8枚で、重弁や二段咲きなどの園芸品種があります。牡丹は例年4月頃から5月頃に赤色・赤紫色・紫色・薄紅色・白色・黄色などの大形の花が咲かせます。なお牡丹には春牡丹だけでなく、寒牡丹・冬牡丹もあります。
馬頭夫人は顔が長く、鼻が馬に似ていたが、情が深く、奥ゆかしいことから唐(中国)第21代皇帝・僖宗は優美に思い、他の后に心を移さずに寵愛しました。他の后は馬頭夫人を妬み、馬頭夫人の顔を皇帝・僖宗によく見てもらおうと日中に宴を催す計略を立てました。馬頭夫人は皇帝・僖宗に不十分なところを見せたくなく、医師・仙人に相談し、仙人から長谷寺の観音様が極位の菩薩であると聞き、道場を設けて真心を込めて祈願すると七日七夜を経た暁に貴い僧が現れ、良い香りのする瓶水(びょうすい)を顔に注がれると端正で威厳のある女性らしい顔立ちに変わりました。馬頭夫人は観音様のおかげであると喜び、牡丹の種など種々の宝物を入れた小舟が長谷寺に至るように銘文を刻んで海に送り出しました。また馬頭夫人はいつか長谷寺の伽藍を守護する護法善神(ごほうぜんじん)になり、観音様に奉仕し、衆生に恵みを施すことを誓いました。
●長谷寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
長谷寺歴史
●長谷寺の見どころ(本堂・登廊など)を紹介しています。
長谷寺見どころ
【長谷寺 歴史・簡単概要】
長谷寺(はせでら)は寺伝によると飛鳥時代後期の686年(朱鳥元年)に道明上人(どうみょうしょうにん)が第40代・天武天皇(てんむてんのう)の銅板法華説相図(ほっけせっそうず)を西の岡(本長谷寺)に安置したのが起源とも言われています。奈良時代前期の727年(神亀4年)に徳道上人(とくどうしょうにん)が第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の勅により、近江高島から流れ出でた霊木を使って本尊・十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)像(重要文化財)を造仏し、衆生の為に東の岡に安置したとも言われています。徳道上人は観音信仰に篤く、718年(養老2年)に閻魔大王(えんまだいおう)のお告を受けて西国三十三所観音霊場巡拝の開祖になり、長谷寺は三十三所の根本霊場と言われるようになりました。平安時代前期の847年(承和14年)に定額寺(じょうがくじ)に列せられ、858年(天安2年)に僧を統括する上座(じょうざ)・寺主(じしゅ)・都維那(ついな)の僧職・三綱(さんごう)が置かれました。平安時代中期の1024年(万寿元年)に関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)が観音霊場として参詣したと言われています。また平安時代中期に華厳宗(けごんしゅう)・東大寺(とうだいじ)の末寺から法相宗(ほっそうしゅう)・興福寺(こうふくじ)の末寺になったとも言われています。その後1585年(天正13年)の関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による根来攻め以降に新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)門徒が入山して、真言宗豊山派(ぶざんは)になりました。なお長谷寺は西国三十三所観音霊場の第8番札所で、大和七福八宝めぐりの一つに数えられています。
長谷寺は真言宗豊山派の総本山です。
*参考・・・奈良・長谷寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【長谷寺牡丹見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良・長谷寺(アクセス・見どころ・・・)情報