金峯大菩薩(きんぷだいぼさつ)と東大寺お水取り
金峯大菩薩(蔵王権現)と東大寺お水取り
金峯大菩薩はお水取りの際、練行衆が読み上げる「神名帳」の中で最初に読み上げられます。金峯大菩薩が最初に読み上げる理由は745年(天平17年)から第45代・聖武天皇が東大寺で大仏を造立を開始したことに関係しています。
【東大寺お水取り2025 日程時間(要確認)】
東大寺お水取り2025は2025年(令和7年)3月1日(土曜日)~14日(金曜日)に行われます。なおお松明は19:00から行われます。ただ12日(水曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。
東大寺お水取り2025日程
【東大寺お水取り 基礎知識】
東大寺お水取り(おみずとり)・修二会(しゅにえ)・お松明(おたいまつ)は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂(国宝)の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
東大寺お水取り2025
【金峯大菩薩(きんぷだいぼさつ)・蔵王権現(ざおうごんげん)】
金峯大菩薩(蔵王権現)はお水取り(十一面悔過(じゅういちめんけか))の際、練行衆(れんぎょうしゅう)が読み上げる「神名帳(じんみょうちょう・二月堂神名帳)」の中で最初に読み上げられます。練行衆は全国の神々・1万3千7百余座を招いて加護を祈る為、最初に「例に依って大菩薩、大明神(だいにょうじん)等、勧請し奉らん」と読み、その後「金峯大菩薩、八幡三所大菩薩(手向山八幡宮)・・・」と読み上げます。金峯大菩薩(蔵王権現)が最初に読み上げる理由は奈良時代(710年~794年)中期の745年(天平17年)から第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が東大寺(とうだいじ)で大仏を造立を開始したことに関係しています。大仏は表面に鍍金(メッキ)を施す為に大量の黄金が必要になり、聖武天皇が東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)に吉野の金峯山に祈願させました。すると良弁僧正の夢に蔵王権現が現われ、金峯山の黄金は56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)がこの世に現われて衆生を救済する際に大地に敷く必要があり、大仏の鍍金に使うことはできないと告げました。また近江国志賀郡の湖水近くに観音菩薩(かんおんぼさつ)の現われる土地があり、そこで祈るとよいとも告げられ、良弁僧正が滋賀石山の巨大な岩の上に聖徳太子(しょうとくたいし)の念持仏(ねんじぶつ)である如意輪観音(にょいりんかんのん)像を安置して草庵(石山寺(いしやまでら))を結ぶとその後陸奥国から黄金が産出され、元号が天平勝宝(749年~757年)に改められました。なお「神名帳」がいつから読み上げられるようになったかは明確ではありません。「二月堂修中練行衆日記」の1128年(大治3年)条に「神名帳」の注記があり、平安時代(794年~1185年)後期には既に行われていたと言われています。「神名帳」は全部で9段に分けられ、「有官知、未官知」のように知る神と知らない神も読み上げられます。なお「神名帳」では1万3千7百余座の神々を読み上げた際、遠敷明神(おにゅうみょうじん)だけが釣りをしていて遅刻し、東大寺二月堂の畔に香水(若狭井(わかさい))を奉じると約束し、お水取りの由来になっています。
●蔵王権現は正式には金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)・金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)とも言われています。蔵王権現はインド(仏教)に起源を持たず、日本独自の山岳仏教である修験道(しゅげんどう)の本尊とされています。蔵王権現は修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)が金峯山(きんぷせん)で修行中に示現したと言われ、役行者が創建したと言われる金峯山寺(きんぷせんじ)・大峰山寺(おおみねさんじ)の本尊として祀られています。蔵王権現は釈迦如来(しゃかにょらい)・千手観音(せんじゅかんのん)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)の三尊の合体したものともされています。また蔵王権現は大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・国常立尊(くにのとこたちのみこと)・日本武尊(やまとたける)・金山毘古命(かなやまひこのみこと)などとも習合しています。更に神仏習合では第27代・安閑天皇(あんかんてんのう)と同一の神格とされました。なお金峯山寺は白鳳年間(7世紀後半)に役行者が大峰山寺とともに金峯山での修行中に感得した蔵王権現を自ら刻んで創建したとも言われています。金峯山寺は吉野山、大峰山寺が山上ヶ岳の山頂にあることから金峯山寺の本堂は山下(さんげ)の蔵王堂、大峰山寺の本堂は山上の蔵王堂と言われました。
●石山寺は「石山寺縁起絵巻・鎌倉時代末期」によると747年(天平19年)に東大寺初代別当・良弁僧正が第45代・聖武天皇の勅願によって創建したとも言われています。良弁僧正は東大寺の大仏建立に当たって黄金が不足し、第45代・聖武天皇から黄金産出の祈願を命じられ、先ず吉野・金峯山で祈願したが、蔵王権現の夢告によって滋賀・石山に辿り着き、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を岩の上に祀って祈願すると陸奥国で黄金が発見され、その後念持仏を移動させようとしたが、動かなかったことから草庵を建てたと言われています。
【金峯大菩薩(蔵王権現)と東大寺お水取り 備考】
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東大寺見どころ