郡山城跡の桜見ごろ2025(時期:3月下旬~4月上旬頃)

郡山城跡

郡山城跡の桜見ごろ・アクセス・概要

郡山城跡の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。郡山城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。郡山城跡は日本さくら名所100選に選ばれています。郡山城跡では染井吉野・八重桜・枝垂桜など約800本の桜の木が植えられ、桜と天守台・追手向櫓・追手東隅櫓などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)

【郡山城跡の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
郡山城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025

【郡山城跡桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県大和郡山市城内町
最寄り駅・バス停・・・近鉄郡山駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
路線・時刻表・運賃チェック

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【郡山城跡の桜見ごろ(例年時期) 概要】
郡山城跡は奈良を代表する桜の名所です。郡山城跡は奈良県内で、吉野山・奈良公園とともに日本さくら名所100選に選ばれています。郡山城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
郡山城跡では城跡一帯に染井吉野(ソメイヨシノ)・八重桜(ヤエザクラ)・枝垂桜(シダレザクラ)など約800本の桜の木が植えられ、桜と天守台・追手向櫓・追手東隅櫓などの城跡との光景が美しいと言われています。ちなみに郡山城跡の桜は御殿桜とも言われています。天守台展望施設からは城跡や桜を一望できます。桜が見ごろを迎える時期に大和郡山お城祭りが行われ、日没後にぼんぼりが灯されたり、様々なイベントが行われたりします。(要確認)
大和郡山お城祭り
●郡山城跡では1960年(昭和35年)に本丸・毘沙門曲輪が奈良県の史跡に指定されました。郡山城跡では1983年(昭和58年)に追手門、1984年(昭和59年)に追手東隅櫓、1987年(昭和62年)に追手向櫓が寄付などによって復元されました。なお郡山城は続日本100名城(165番)に選定されています。
●大和郡山お城祭りは1961年(昭和36年)に観光協会会長・広瀬元次郎が始めた数珠くり法要が起源と言われています。なお数珠くり法要は当初5月5日の子供の日に行っていたが、1907年(明治40年)から桜が見ごろを迎える時期に行われていた金魚品評会に合わせて行うようになりました。
●桜は1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉が桜の名所である談山神社(たんざんじんじゃ)を多武峰(とうのみね)から郡山城下に移した際に一緒に移したのが起源と言われています。現在、談山神社には淡墨桜(ウスズミザクラ)・染井吉野など約500本の桜の木が植えられています。

●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ

【郡山城跡 歴史・簡単概要】
郡山城跡は奈良時代に薬園があった場所とも言われています。郡山城は1162年(応保2年)に地侍の郡山衆が雁陣之城を築いたのが起源とも言われています。その後1580年(天正8年)に大和筒井城主・筒井順慶が織田信長の援助によって大和国守護になり、1581年(天正9年)に信長の家臣・明智光秀が普請目付になって改修したと言われています。1584年(天正12年)に筒井順慶が亡くなると関白・豊臣秀吉の命により、養子・筒井定次が伊賀上野城に転封になり、1585年(天正13年)に秀吉の異父弟・豊臣秀長が入城し、大規模に改修したと言われています。しかし1591年(天正19年)に秀長、1595年(文禄4年)に養子・豊臣秀保が亡くなり、その後五奉行・増田長盛が入城し、惣構えに改修したと言われています。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に増田長盛が高野山に追放されると建物は伏見城に移されたと言われています。江戸時代に水野勝成が入城する際に江戸幕府によって改修されました。その後1724年(享保9年)に柳沢吉里が入城すると明治維新まで柳沢氏の居城になりました。なお郡山城は1873年(明治6年)に建物が破却され、一部は売却されたそうです。
*参考・・・郡山城跡(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

【郡山城跡桜 備考】
郡山城跡(アクセス・見どころ・・・)情報

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