郡山城跡(アクセス・見どころ・・・)桜名所

郡山城跡

郡山城跡

郡山城跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。郡山城がある奈良は良質な石材が少ないとされ、郡山城の築城や改修の際には周辺の寺院の石仏・仏塔・墓石などが徴用され、石垣からは逆さ地蔵と言われる石地蔵が見つかっています。ちなみに石垣からは平城京の羅城門の礎石に使われていたとも言われる石も見つかっているそうです。

【郡山城跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県大和郡山市城内町
最寄り駅・バス停・・・近鉄郡山駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
路線・時刻表・運賃チェック

【郡山城跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【郡山城跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【郡山城跡 歴史・簡単概要】
郡山城跡(こおりやまじょうあと)は奈良時代に薬園があった場所と言われています。郡山城は1162年(応保2年)に郡山衆が雁陣の城を築いたのが起源とも言われています。その後1580年(天正8年)に筒井順慶(つついじゅんけい)が織田信長の援助によって大和国守護になり、1581年(天正9年)に明智光秀(あけちみつひで)が普請目付になって改修したと言われています。1584年(天正12年)に筒井順慶が亡くなると関白・豊臣秀吉の命により、養子・筒井定次が伊賀上野城に転封になり、1585年(天正13年)に秀吉の異父弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)が入城し、大規模に改修したと言われています。しかし1591年(天正19年)に秀長、1595年(文禄4年)に養子・豊臣秀保が亡くなり、その後五奉行・増田長盛(ますだながもり)が入城し、惣構えに改修したと言われています。関ヶ原の戦い後、増田長盛が高野山に追放されると建物は伏見城に移されたと言われています。江戸時代に水野勝成が入城する際、徳川幕府によって改修されました。その後1724年(享保9年)に柳沢吉里が入城すると明治維新まで柳沢氏の居城になりました。なお郡山城は1873年(明治6年)に建物が破却され、一部は売却されたそうです。
郡山城跡(本丸・毘沙門曲輪)は奈良県の指定史跡です。
*参考・・・郡山城跡(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

【郡山城跡 見どころ・文化財】
郡山城跡の見どころは桜です。なお復元された追手門(梅林門)・追手東隅櫓・追手向櫓も見どころです。

【郡山城跡 行事・イベント(要確認)】
●大和郡山盆梅展は梅が見ごろを迎える時期に行われています。大和郡山盆梅展では大和郡山市内の愛好家が丹精込めて育てた100鉢以上の盆梅が郡山城跡で展示されます。櫓の外にはしだれ梅も植えられています。
郡山城跡大和郡山盆梅展
●大和郡山お城祭りは毎年桜の見頃を迎える3月下旬から4月上旬に行われています。大和郡山お城祭りでは夜間にぼんぼりが灯されたり、ライトアップが行われたりして夜桜を楽しむことができます。金魚品評会・時代行列や白狐お渡り・市民パレードなどのイベントも行われます。
郡山城跡大和郡山お城祭り

【郡山城跡 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●郡山城跡の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月中旬頃です。しだれ梅・白梅・紅梅・清明梅などの梅の木が植えられています。清明梅は2014年(平成26年)に大和郡山市の市政60周年の記念樹として植えられました。
郡山城跡梅見ごろ
●桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。一帯に染井吉野・八重桜・枝垂桜など約800本の桜の木が植えられ、御殿桜とも言われ、日本さくら名所100選に選定されている桜と天守台・追手向櫓・追手東隅櫓などの城跡との光景が美しいと言われています。
郡山城跡桜見ごろ

*奈良には多くの梅名所があり、その梅見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良梅見ごろ2025
*奈良には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良桜見ごろ2025

【郡山城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-52-2010(大和郡山市観光協会)

【郡山城跡 おすすめ散策ルート】
郡山城跡からは郡山城の本丸跡に造営された柳澤神社(やなぎさわじんじゃ)まで散策するのがおすすめです。

【郡山城跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場あり。
*参考・・・郡山城跡アクセス

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