佐保川の桜見ごろ2025(時期:3月下旬~4月上旬頃)
佐保川の桜見ごろ・アクセス・概要
佐保川の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。佐保川の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。佐保川では法蓮町から七条町までの約5キロに染井吉野など約1,000本の桜の木が植えられています。佐保川では江戸時代後期に奈良奉行・川路聖謨が奈良公園・平城宮跡とともに桜の木を植樹し、川路桜とも言われています。(詳細下記参照)
【佐保川の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
佐保川の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025
【佐保川桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市
最寄り駅・バス停・・・新大宮駅
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【佐保川の桜見ごろ(例年時期) 概要】
佐保川は奈良の桜の名所です。佐保川の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
佐保川では法蓮町から七条町までの長さ約5キロに染井吉野(ソメイヨシノ)など約1,000本の桜の木が植えられています。佐保川では江戸時代(1603年~1868年)後期に奈良奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)が奈良公園・平城宮跡とともに桜の木を植樹し、川路桜とも言われています。樹齢160年を超える川路桜も植えられています。佐保川では奈良県図書情報館付近などの景観が美しいことから奈良県景観資産に選ばれています。桜の見ごろに佐保川・川路桜まつりが行われています。(要確認)
●川路聖謨は江戸時代後期の1801年(享和元年)に日田代官所属吏・内藤吉兵衛歳由と高橋誠種の娘の長男・弥吉として豊後国日田(大分県日田市)に生まれました。1808年(文化5年)に父・内藤吉兵衛歳由が江戸に出て御家人株を入手して幕府徒歩組に編入され、1812年(文化9年)に小普請組・川路三佐衛門光房の養子になりました。翌1813年(文化10年)に元服して小普請組に入り、その後勘定奉行所支配勘定出役などを歴任し、老中・水野忠邦が天保の改革を行った際に小普請奉行・普請奉行として改革に参与したが、水野忠邦が失脚すると奈良奉行に左遷されました。奈良奉行時代に行方不明となっていた初代・神武天皇陵を捜索したり、乱伐ではげ山になった多聞山城跡に約50万本の木を植樹したりしました。その後大坂町奉行・勘定奉行兼海防掛などを歴任し、1854年(安政元年)に下田で日露和親条約に調印しました。1858年(安政5年)に朝廷から日米修好通商条約への承認に失敗し、また大老・井伊直弼と条約勅許・将軍継嗣問題で対立して失脚しました。1863年(文久3年)に外国奉行に復帰するが、老齢・病気の為に数か月で辞職し、1868年(慶応4年)の江戸開城締約の翌日・3月15日に割腹の上でピストル自殺をしました。
●奈良県立図書情報館は1908年(明治41年)に奈良県立戦捷紀念図書館として奈良公園内に竣工されたのが始まりです。1923年に奈良県立奈良図書館に名称を改称され、2005年(平成17年)に現在の場所に奈良県立図書情報館が開館しました。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【佐保川 歴史・簡単概要】
佐保川は標高約342メートルの若草山東麓を走る柳生街道にある標高約460メートルの石切峠付近を源とし、奈良盆地に出て南西流し、新大宮付近から南流して秋篠川に合流し、その後大和川に注ぐ、延長約19キロの大和川水系の支流で一級河川です。佐保川は川幅が5~10メートルで、普段水量はあまり多くありません。佐保川はかつて舟運・灌漑に利用され、チドリの名所だったとも言われています。また平城京内では東の堀川として利用されていたとも言われています。佐保川は日本最古の和歌集「万葉集」などに多く詠まれています。三十六歌仙の一人である大伴家持は尼との最古の連歌で「佐保川の 水を塞きあげて 植ゑし田を 刈る早飯は 独りなるべし(万葉集)」と詠みました。また西行法師は「見渡せば 佐保の河原に くりかけて 風によらるゝ 青柳の糸(山家集)」と詠みました。佐保川は古くからホタル(蛍)の名所ともされ、佐保川蛍が東大寺鐘・春日野鹿・南円堂藤・猿沢池月・雲居坂雨・轟橋旅人・三笠山雪とともに南都八景に数えられました。
*参考・・・佐保川(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【佐保川桜 備考】
佐保川(アクセス・見どころ・・・)情報