白毫寺志貴親王御忌2024年9月16日(日程時間・・・)
白毫寺志貴親王御忌
白毫寺志貴親王御忌(日程・・・)を紹介しています。志貴親王御忌は例年9月に行われています。志貴親王御忌は1980年(昭和55年)に笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が詠んだ和歌「高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」の歌碑が境内に建立されたのを機に行われています。志貴親王御忌では志貴親王の菩提を弔います。(詳細下記参照)
【白毫寺志貴親王御忌2024 日程時間(要確認)】
白毫寺志貴親王御忌2024は2024年(令和6年)9月16日(月曜日)10:30から行われます。(現在確認中・要注意)
【白毫寺志貴親王御忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市白毫寺町392
最寄り駅・バス停・・・高畑町(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
路線・時刻表・運賃チェック
【白毫寺志貴親王御忌 歴史・簡単概要】
白毫寺志貴親王御忌(しきしんのうぎょき)は1980年(昭和55年)に笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が詠んだ和歌「高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」の歌碑が境内に建立されたのを機に行われています。和歌は笠朝臣金村が第38代・天智天皇の第7皇子・志貴親王(しきしんのう・志貴皇子・施基親王)が亡くなった際に詠み、日本最古の和歌集・万葉集に収録されています。
志貴親王御忌では志貴親王(しきしんのう)の菩提を弔います。
志貴親王は父・天智天皇と母・越道君伊羅都売(こしのみちのきみいらつめ)の間に生まれ、672年(天武天皇元年)の壬申の乱により、皇統が第40代・天武天皇系統に移ったこともあり、政治よりも和歌などを好んで、万葉集にも6首が収められてます。中でも「石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の 萌え出づる春に なりにけるかも」が広く知られているそうです。なお志貴親王は716年(霊亀2年)に亡くなり、春日宮天皇(かすがのみやてんのう)・田原天皇(たわらてんのう)とも言われています。
【白毫寺 歴史・簡単概要】
白毫寺(びゃくごうじ)は伝承によると奈良時代初期の715年(霊亀元年)に第38代・天智天皇の第7皇子・志貴皇子(しきのみこ・施基親王)の山荘跡を寺に改めたのが起源とも言われています。また白毫寺は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の師とも言われている三論宗(さんろんしゅう)の僧・勤操大徳(ごんそうだいとく)が創建した石淵寺(いわぶちでら)の一院だったとも言われています。鎌倉時代に真言律宗(しんごんりっしゅう)の祖・叡尊(えいそん)が再興し、叡尊の弟子・道照(どうしょう)が中国から宋版一切経(いっさいきょう)の摺本を請来して、経蔵に収めたことから一切経寺とも言われたそうです。その後室町時代の兵火によって焼失し、寛永年間(1624年~1643年)頃に興福寺(こうふくじ)の僧・空慶が復興し、五色椿が興福寺の塔頭・喜多院(きたいん)から移されてきたとも言われています。なお白毫寺は本尊・阿弥陀如来(重要文化財)を安置しています。
白毫寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・白毫寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【白毫寺志貴親王御忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
白毫寺(アクセス・見どころ・・・)情報