菅原天満宮の梅見ごろ2025(時期:2月上旬~3月上旬頃)

菅原天満宮の梅見ごろ・アクセス・概要

菅原天満宮の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。菅原天満宮の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月上旬頃です。菅原天満宮には紅梅・白梅・しだれ梅など約100本の梅の木が植えられています。本殿に向かって右側に紅梅が植えられ、紅梅と本殿・石灯籠・臥牛像の光景が美しいとも言われています。(詳細下記参照)

【菅原天満宮の梅見ごろ(例年時期)】
菅原天満宮の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月上旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良梅名所・梅見ごろ

【菅原天満宮梅 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市菅原町518
最寄り駅・バス停・・・近鉄大和西大寺駅(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【菅原天満宮の梅見ごろ(例年時期) 概要】
菅原天満宮は奈良の梅の名所です。菅原天満宮の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月上旬頃です。菅原天満宮などの天満宮には祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀り、菅原道真がこよなく梅を愛したことから境内に梅の木が植えられています。梅は天満宮の神紋に使われています。
菅原天満宮では紅梅・白梅・しだれ梅など約100本の梅の木が植えられています。本殿に向かって右側に紅梅が植えられ、紅梅と本殿・石灯籠・臥牛像の光景が美しいとも言われています。梅の見ごろに合わせて盆梅展が催され、社殿内や屋外会場に盆梅が展示・公開されます。(要確認)盆梅展では早咲き・中咲き・遅咲きなどの盆梅(梅鉢)が展示されます。
●菅原道真は梅をこよなく愛し、「東風(こち)吹かば 匂ひやこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集 巻第十六 雑春)」と詠みました。菅原道真が大宰府に左遷されると梅が道真を慕って一晩の内に大宰府に飛来したという飛梅伝説も生まれました。菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善の子として生まれました。幼少から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士になりました。政治家としても活躍し、899年(昌泰2年)に右大臣になるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。死後に悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられ、死後20年目に左遷が撤回されて官位が復され、正二位が贈られました。993年(正暦4年)に正一位・太政大臣が追贈されました。
●梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木で、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
●盆梅は盆栽に仕立てられた鉢植えの梅のことです。盆栽は木・草・苔などを盆栽鉢などに植え、その枝ぶり・葉姿・幹の肌などやその全体の姿を鑑賞するものです。盆梅は中国の唐の時代(618年~907年)に行われていた盆景が起源と言われ、平安時代(794年~1185年)に日本に伝わったと言われています。
菅原天満宮盆梅展

【菅原天満宮 歴史・簡単概要】
菅原天満宮は起源が明確ではありません。菅原天満宮は土師氏が土師氏の祖神で、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣の守護神である天穂日命を祀ったの起源と言われています。土師氏は土師器などを製作したことから第11代・垂仁天皇から土師の姓を賜り、781年(天応元年)に菅原道真の曽祖父・土師古人らが土地の名・菅原邑から菅原の姓への改姓を勅許されたと言われています。その後平安時代中期の「延喜式神名帳」に記されて小社に列せられました。菅原天満宮は菅家一系三神を祀る延喜式内社の日本最古の天満宮とも言われているそうです。文亀年間(1501年~1504年)・元禄年間(1688~1704年)に火災に見舞われ、寛保年間(1741年~744年)に一乗院宮真敬法親王の命によって社殿が再建されたと言われています。2002年(平成14年)に社名を菅原神社から菅原天満宮に改めました。
*参考・・・菅原天満宮(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【菅原天満宮梅 備考】
菅原天満宮(アクセス・見どころ・・・)情報

関連記事

奈良観光おすすめ

  1. 柳生一刀石
  2. 若草山(Mt. Wakakusa-yama)
  3. 吉野山
ページ上部へ戻る