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カテゴリー:その他
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念仏寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
念仏寺は現在本尊・阿弥陀如来立像を安置する本堂(阿弥陀堂)だけが残されているが、本堂は陀々堂(だだどう)とも言われています。陀々堂は松明から飛び散る火の粉により、身を浄めて災いを焼き払う達陀(だったん)を行うことに由来しているとも言われています。 -

かぎろひの丘万葉公園(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
かぎろひの丘万葉公園の「かぎろひ(炎・陽炎)」は厳冬のよく晴れた日の出前、東の空を彩る真っ赤な陽光(曙光・しよこう)を意味するとも言われています。(諸説あり)ちなみにかぎろひは日の出の1時間ほど前頃から見ることができるそうです。 -

吉祥草寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
吉祥草寺を創建したと言われている役行者は17歳で奈良・元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峯で山岳修行を続け、吉野金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰や山修行と外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。 -

八柱神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
八柱神社の秋祭の宵宮で奉納される神事・題目立は八柱神社の祭祀を仕切る宮座(みやざ)に加入する際、成人の通過儀礼として演じられる意味合いを持っているそうです。ちなみに題目立は原則宮座入りしたかぞえ17歳の若者を中心に演じられるそうです。 -

鶯塚古墳(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
鶯塚古墳は清少納言が「枕草子」の中で「みささぎはうぐひすのみささぎ、かしはぎのみささぎ、あめのみささぎ」と記した鶯陵(うぐいすのみささぎ)とされ、1733年(享保13年)には鶯陵の顕彰碑が建てられました。ただ現在は鶯陵でないとも言われているそうです。 -

キトラ古墳(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
キトラ古墳は描かれた壁画から高松塚古墳(たかまつづかこふん)ほど唐(中国)の影響を受けていないとされ、7世紀末から8世紀初めに築造されたと言われています。ちなみに高松塚古墳は藤原京(694年(持統天皇8年)~710年(和銅3年))時代に築造されたと言われています。 -

耳成山(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
耳成山は日本最古の和歌集・万葉集の中では耳梨山・耳梨と記されています。ちなみに中大兄皇子(第38代・天智天皇)は「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」と詠んでいます。 -

畝傍山(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
畝傍山は古事記・日本書紀などに畝火山・雲根火山・宇禰縻夜摩・慈明寺山・御峯山・瑞山などと記されています。ちなみに日本最古の和歌集・万葉集の中では「思ひあまり 甚もすべ無み 玉だすき 畝火の山に われは標結ふ(作者不詳)」と詠まれています。 -

天香久山(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
天香久山は日本最古の和歌集・万葉集の中で13首詠まれているが、その表記は統一されず、香具山・香山・香来山・高山・芳来山・芳山などと表記されています。ちなみに第41代・持統天皇は「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」と詠んでいます。 -

丸山古墳(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
丸山古墳の被葬者は明確ではないが、宮内庁によると第40代・天武天皇と第41代・持統天皇が被葬者とも言われています。天武天皇は翌672年(天武天皇元年)の壬申の乱に勝利して天皇に即位し、686年(朱鳥元年)に天武天皇が崩御すると妻である持統天皇が即位しました。












