旧柳生陣屋跡の桜見ごろ2025(時期:4月上旬~中旬頃)
旧柳生陣屋跡の桜見ごろ・アクセス・概要
旧柳生陣屋跡の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。旧柳生陣屋跡の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。旧柳生陣屋跡では染井吉野など約160本の桜の木が植えられ、桜と陣屋跡などの光景が美しいと言われています。桜が見ごろを迎える時期に柳生さくら祭が催され、野外ステージイベントが行われたり、きづな市が行われたりします。(要確認)(詳細下記参照)
【旧柳生陣屋跡の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
旧柳生陣屋跡の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025
【旧柳生陣屋跡桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市柳生町340-1
最寄り駅・バス停・・・柳生(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・柳生邑地中村行き
*第二阪奈道路宝来IC(車約40分)
路線・時刻表・運賃チェック
【旧柳生陣屋跡の桜見ごろ(例年時期) 概要】
旧柳生陣屋跡は奈良の桜の名所です。旧柳生陣屋跡の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。
旧柳生陣屋跡では染井吉野(ソメイヨシノ)など約160本の桜の木が植えられ、桜と陣屋跡などの光景が美しいと言われています。桜が見ごろを迎える時期に柳生さくら祭が催され、武術や民謡・舞踊、・音楽ライブなどの野外ステージイベントが行われたり、きづな市が行われたりします。(要確認)なお旧柳生陣屋跡近くには桜の名所とされる芳徳寺もあり、一緒にお花見を楽しむのがおすすめです。
●染井吉野は幕末に江戸染井村(巣鴨付近)の植木職人がいずれも日本国内に自生する10種のサクラ属の基本野生種とされている江戸彼岸と大島桜を交配させて生み出したと言われています。染井吉野は吉野山に因んで、吉野・吉野桜と言われていたが、その後染井村から染井吉野と言われるようになりました。染井吉野は葉の出る前に径3~3.5センチの淡紅白色の花を咲かせます。染井吉野はほぼ全てがクローンで、気象庁がサクラの開花・満開を判断する標本木として利用されています。
●芳徳寺(芳徳禅寺)は1638年(寛永15年)に大和国柳生藩主・柳生又右衛門宗矩が父・石舟斎宗厳の菩提を弔う為に沢庵宗彭を開山として創建したと言われています。芳徳寺は柳生藩主・柳生家の菩提寺になりました。柳生家は元々、中宮寺に弔われていたが、芳徳寺に改葬されることになったそうです。1711年(宝永8年)の火災で焼失したが、1714年(正徳4年)に再建されました。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【旧柳生藩陣屋跡 歴史・簡単概要】
旧柳生藩陣屋跡は奈良県奈良市柳生町にあります。柳生藩陣屋は大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩が江戸幕府から1万2千石の所領を与えられ、1642年(寛永19年)に建設しました。柳生宗矩は1594年(文禄3年)から江戸幕府初代将軍・徳川家康に仕えるようになり、1601年(慶長6年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の兵法指南役になり、1621年(元和7年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の兵法指南役になりました。家光から信任され、1632年(寛永9年)に初代幕府惣目付(大目付)になり、1636年(寛永13年)に4,000石を加増されて合計1万石になり、大名に列して大和国柳生藩を立藩しました。柳生藩陣屋は「柳生藩日記」によると面積が1,374坪(454平方メートル)だったと言われています。その後柳生藩3代藩主 柳生宗冬が増築したが、1747年(延享4年)に火災で焼失し、仮建築のまま明治時代を迎えたと言われています。なお旧柳生藩陣屋跡は1980年(昭和55年)6月に史跡公園として整備されました。
*参考・・・旧柳生藩陣屋跡(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【旧柳生陣屋跡桜 備考】
旧柳生陣屋跡(アクセス・見どころ・・・)情報