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過去の記事一覧
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第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)と吉野山
吉野山では1336年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が京都を脱出して潜幸し、南朝を開きました。南朝は金峯山寺の僧坊・吉水院を行在所とし、その後金峯山寺の西側に建立されていた実城寺を皇居に定め、寺号を金輪王寺に改めました。 -

俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と吉野山
吉野山では1140年(保延6年)頃に西行法師が訪れ、奥千本辺りに庵を結んで約2年余り住みました。その後1684年(貞享元年)に西行法師を敬愛する俳聖・松尾芭蕉も訪れました。松尾芭蕉は1688年(貞享5年)春にも吉野を訪れています。 -

歌人・西行法師(さいぎょうほうし)と吉野山
西行法師は「願はくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃(どうか、桜の花の咲くもとで死にたいものだ。お釈迦が入滅した2月15日頃に)」と詠んで、桜をこよなく愛し、1140年(保延6年)頃に吉野に訪れ、奥千本辺りに庵を結びました。 -

源義経(みなもとのよしつね)・静御前(しずかごぜん)と吉野山
源義経は1185年(文治元年)3月の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたが、兄・源頼朝と対立します。その後天王寺から吉野山に愛妾の静御前や武蔵房弁慶らとともに逃れ、金峯山寺の僧坊・吉水院(吉水神社)で5日間かくまわれていたと言われています。 -

役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)と吉野山
役行者・役小角は山上ヶ岳に深く分け入り、一千日間の参籠修行を行っていると蔵王権現を感得し、衆生を救う為に桜の木に刻み、山上ヶ岳と吉野山に祀りました。桜は蔵王権現の御神木とされ、金峯山寺に参詣した際に桜を献木することが風習になりました。 -

関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)と吉野山
豊臣秀吉は桃山時代の1594年(文禄3年)に徳川家康・宇喜多秀家・前田利家・伊達政宗・豊臣秀次・北政所・淀殿・茶人・連歌師など総勢5千人で吉野を訪れ、花見を楽しみました。吉野には「豊太閤花見塚」が残されています。 -

勝手神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)]
勝手神社には源義経の愛妾・静御前が追っ手に捕らわれた際に舞を見せたと言われる舞塚があります。吉野は壇の浦の戦で平氏を滅ぼした源義経が兄で、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝と対立し、静御前や弁慶とともに逃れて来たとされています。 -

なら燈花会のロウソク・カップ(天然由来)
なら燈花会で使用されているロウソク・カップは奈良公園一帯に生息する鹿が食べても安全な天然由来の素材で製造されています。またロウソクはスス(煤)が出にくい・炎がすぐ点火する・屋外で安定して燃焼するなどの工夫が凝らされています。 -

NARA CITYコンシェルジュ・ミス奈良(歴代・イベント・・・)
NARA CITYコンシェルジュ・ミス奈良を紹介しています。ミス奈良は1989年(平成元年)から募集が開始され、2002年(平成14年)から性別不問になり、2019年(令和元年)から名称がNARA CITYコンシェルジュに改められました。 -

なら燈花会2026年8月スポット・会場(屋台露店にぎわい縁日)
なら燈花会スポット・会場(日程時間など)を紹介しています。なら燈花会はいずれも世界遺産である東大寺・興福寺・春日大社に囲まれた奈良公園を中心に行われます。浮見堂・猿沢池・東大寺鏡池では池の水が他の会場と異なった趣を感じさせます。



















