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過去の記事一覧
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聖林寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
聖林寺に安置されている十一面観音立像(国宝)は草むらに捨てられていたのを住職が発見して安置したという伝承が残されているが、実際には住職が大御輪寺から大八車で運んだそうです。なお十一面観音立像は美術研究家・フェノロサが激賞したことで知られています。 -

狭井神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
狭井神社ゆかりの大神神社は国造りを行っていた出雲の大国主神の前に国作りに協力すると大国主神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である大物主大神が現れ、「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と言って、三輪山に祀られたのが起源とも言われています。 -

正蓮寺大日堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
正蓮寺大日堂には明治時代に廃寺になった普賢寺(ふげんじ)に伝わった地蔵菩薩像・閻魔天像・弁天像・誕生仏などの仏像や猫入り涅槃図(ねはんず)などの掛け軸、そして地下から発掘された土器・瓦などが陳列されているそうです。 -

大和神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
大和神社は戦艦大和と同名であることから艦内に分霊が祀られていました。その後戦艦大和は1945年(昭和20年)に沖縄沖で沈没し、亡くなった2736名の英霊などが末社・祖霊社に合祀されました。なお1969年(昭和44年)には境内に戦艦大和記念塔が建立されました。 -

和爾下神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
和爾下神社は大和郡山市横田の和爾下神社が下治道天王(しもはるみちてんのう)と言われるのに対し、上治道天王(かみはるみちてんのう)とも言われたそうです。二つの和爾下神社は竜田道(治道・はるみち)沿いに約2.5キロ離れて祀られています。 -

十輪院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
十輪院には現在東京国立博物館構内にある校倉倉庫である宝蔵(重要文化財)があったが、1882年(明治15年)に移されました。ちなみに宝蔵内に収められていた大般若経六百巻(天平時代)は薬師寺の所有となり、その後奈良国立博物館などに分蔵されました。 -

芳徳寺・芳徳禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
芳徳寺・芳徳禅寺を創建した柳生又右衛門宗矩は1571年(元亀2年)に父・石舟斎宗厳の五男として生まれ、1594年 (文禄3) に江戸幕府初代将軍・徳川家康に仕え、2代将軍・秀忠や3代将軍・家光に柳生新陰流を教授し、1632年(寛永9年)には総目付となって大名を監視しました。 -

率川神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
率川神社で例年6月17日に行われる例祭・三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり) は大宝令にも記される古来からの祭礼で、鎮花祭に因んで悪疫除けが祈願されます。なお三枝祭では祭典後、祭神・媛蹈鞴五十鈴媛命の古事に則り、ゆりをかざした七乙女の行列が町中を歩きます。 -

手向山八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
手向山八幡宮ゆかりの東大寺は728年(神亀5年)第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した基皇子の菩提を追修する為、東大寺初代別当・良弁僧正などの9人の僧を住まわせた若草山の山麓に設けた山房を起源とする金鍾寺(金鍾山寺)が起源と言われています。 -

吉水神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・世界遺産
吉水神社に隠れ住んだと言われている源義経は兄・源頼朝が平家打倒の為に挙兵すると鎌倉に駆け付け、壇の浦の戦で平氏を滅ぼしたが、その後頼朝と対立して、愛妾の白拍子・静御前や弁慶とともに吉野に逃れて来たと言われています。



















